東京高等裁判所 昭和24年(ネ)491号 判決 1950年8月08日
控訴人 原告 栗林富子
訴訟代理人 鴛海隆
被控訴人 被告 能道好広
主文
原判決を取消す。
被控訴人は控訴人が被控訴人の子であることを認知せよ。
訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、原判決事実摘示と同一であるので、ここにこれを引用する。
証拠として、控訴代理人は、甲第一ないし第四号証を提出し、原審証人小林さく(第一、二回)、栗林万平、多門幸男、当審証人宮下茂、伊熊武喜、綿貫輝太郎及び宮沢とり子の証言、原審並びに当審における控訴人(原告)法定代理人親権者母栗林けさ江の本人訊問の結果及び当審における鑑定人古畑種基の鑑定の結果を援用し、乙第一号証は添附の出生証明書中出生の年月日欄の記載の抹消部分(2、12という数字)の成立を否認する外その他の成立を認める。乙第五号証は控訴人の母栗林けさ江外五名の写真であることを認める。その余の乙号各証の成立は全部知らないとのべ、被控訴人は、乙第一ないし第七号証を提出し、原審証人小林さく(第一回)、大平うめを、根石才治(第一、二回)、村松忠、中村藤太及び当審証人能道きくの証言、原審における検証並びに鑑定人岩谷武臣の鑑定の結果及び当審における被控訴人本人の訊問の結果を援用し、甲第一〇号証の成立は認める。その余の甲号各証の成立は知らないとのべた。
理由
長野県から交付の姙産婦手帳であつて原審証人小林さくの証言(第二回)によりその内容の記載の真正に成立したことを認めうる甲第一号証(能道けさ江名義の姙産婦手帳)、添附の出生証明書中、出生の年月日欄の記載の抹消部分(2、12という数字)を除きその他の成立につき争なく当裁判所もまた右争ないことにより真正に成立したと認める乙第一号証(届出人栗林けさ江名義の控訴人出生届並びに小林さく作成の出生証明書)、並びに、原審証人小林さくの証言(第一、二回)原審並びに当審における控訴人(原告)法定代理人栗林けさ江の本人訊問の結果を綜合すれば、控訴人は、栗林けさ江のうんだ子であつて昭和二十三年一月十六日生れたことが明かである。被控訴人は、右出生の日時を争い、控訴人は真実は昭和二十二年十二月下旬生れたのであるが、届出に当り昭和二十三年一月十六日生れたように作為したものであると主張しているが、なる程前記乙第一号証添附の出生証明書の出生の年月日欄の記載には、昭和二十三年一月十六日とある下にうすく2、12の数字が見え、これを生かして見るときは、一旦出生の年月日昭和二十二年十二月十六日と記載したものを後日2、12の数字を消し3、1の数字を加え現在のようにしたとも疑われ、又、原審証人根石才治(第二回)中村藤太の証言によれば、控訴人の出生届受理後、西条村長が作成して松代保健所におくつた控訴人の出生票には助産婦小林さくと記載されながら、人口動態調査表には助産婦大平うめをと記載されていて、その間助産婦の記載に食いちがいのあつた事実が認められるが、当審における被控訴人の供述によるも、控訴人の母栗林けさ江は、少くとも昭和二十二年十二月十八日にはまだ控訴人をうんでおらず懐胎のまま同日の調停期日に出頭した事実が明かであるので、その前昭和二十二年十二月十六日既に控訴人をうんでいたとは到底いうことができず、又原審証人中村藤太の証言によれば、前記出生票と人口動態調査表との助産婦の記載の食いちがいは松代保健所の係員中村藤太から西条役場戸籍係村松忠に照会した結果出生票の記載の方が正しいと判つたので調査表の大平うめをを小林さくと訂正したことが明かであるので、何が故に前記出生証明書の出生の年月日欄の記載にうすく2、12の数字が見えているのか、又、出生票と人口動態調査票の助産婦の記載にどうしてこんな食いちがいが生じたのか、その理由原因は証拠上これを詳らかにするをえないが、これだけのことで控訴人は昭和二十二年十二月下旬大平うめをの助産によりうまれたのであると認めることができず、その他被控訴人の提出援用にかかるすべての証拠によるも未だ右事実を認定することができない。なお被控訴人は、出生日時が昭和二十三年一月十六日でない事情の一として栗林けさ江は同年一月二十六日被控訴人を背負い乗合自動車にのつて居村より四、五里もある長野の裁判所まで出頭した事実をあげ、これはありうべきことでないといつているが、被控訴人の当審における供述によるも右は誤りであつて、当審における控訴人法定代理人栗林けさ江の供述によれば、同人は当日産じよくにあつて出頭せず、出頭したのは同年二月二十三日であつたことが明かであるから、右についての被控訴人の主張は理由がない。
ところで、控訴人が果して栗林けさ江と被控訴人との間に生れた被控訴人の子であるかどうかが本件眼目をなす争であるが、被控訴人の当審における供述によれば、被控訴人は、昭和二十二年四月二十九日柳沢三郎の媒酌により栗林けさ江と結婚の式をあげ、爾来けさ江が同年八月二十三日実家に帰るまで、引きつづき内縁の夫婦として被控訴人方に同棲していた事実が認められるので、控訴人が前認定のとおり昭和二十三年一月十六日出生したものとすれば、控訴人は、その母栗林けさ江と被控訴人の右内縁関係成立後二百六十三日目、又、栗林けさ江が被控訴人との同棲を断絶して後百四十六日目に生れたこととなるので、民法第七百七十二条の規定を類推し、控訴人は、右内縁関係成立前既に懐胎せられていたこと、又は、内縁関係成立後懐胎せられたとしてもその間その母栗林けさ江に不貞の行状があつたとの反対の証拠のない限り、被控訴人と栗林けさ江の内縁関係中にけさ江によつて懐胎せられた子で、従つて被控訴人の子であると推定するのが相当である。
けだし、法律上の婚姻といい、内縁の夫婦といい、これを法律上すべての点において同一に取り扱うことは、固より許さるべきことではないが、内縁の夫婦は少くとも単なる野合とはちがうのであつて、内縁の夫婦間の性関係と内縁の妻の貞節とが法律上の婚姻の場合と本質的に同一であるとみられる限りにおいては、婚姻の場合における父性推定の規定たる民法第七百七十二条は、内縁の場合において内縁の妻の懐胎した子の父性を認定するため類推適用されて然るべしと思われるからである。
よつて、右の見地に基き逐次この点に関する被控訴人の反証について吟味してみよう。
控訴人の母栗林けさ江が被控訴人との内縁関係持続中、不貞の所為があつたという事実は、被控訴人も格別主張していないし、又、これを認めるに足る証拠もない。被控訴人の主として主張するところは、控訴人は右内縁関係成立前既に懐胎せられていたということで、これを推測すべき事情としていろいろの事実をあげている。
しかしながら(1) 控訴人がうまれたのは昭和二十三年一月十六日であつて昭和二十二年十二月下旬でないことは前認定のとおりである。(2) 被控訴人は、控訴人はその発育状況よりみて受胎後十ケ月を経過して出生したものであると主張するが、当審証人能道きくの証言並びに当審における被控訴人本人の供述によるも、未だにわかに右事実を断じがたく、同人等は、当審において、栗林けさ江が昭和二十二年七月頃能道きくの問に答えて胎児が腹の中でうごくといつたこと、又、昭和二十三年二月二十三日の長野の裁判所における調停期日において調停委員等が栗林けさ江のつれて来た控訴人をみて、一月十六日生れとしては大きいといつたこと等を供述しているが、これ等をとつて直ちに控訴人は出生当時成熟児であつたと断定するのは頗る危険であつて、又、原審証人小林さくは、出生当時控訴人の体重は六百八十匁であつたといいながら(第一回)後、七百二十匁あつたといい(第二回)控訴(原告)代理人がこれをたしかめたところ、六百八十匁であつたと訂正した(第二回)ことは、その調書の記載により明かであるが、それがため、同証人の証言は全部信用できないというのはいささか早計であつて、却つて、右証人の証言並びに前記甲第一号証、乙第一号証の記載によれば控訴人は、受胎後九ケ月を経て出生したものであつて、出生当時その体重は六百八十匁にすぎなかつた事実が認められる。(3) 被控訴人は、又、控訴人の母栗林けさ江は、被控訴人との同棲後四、五日して軟性下疳の症状を呈しあまつさえこれを被控訴人に感染せしめたため、被控訴人は昭和二十二年八月頃切開手術を受けるの止むなきにいたつた。そして、被控訴人は、従前他の女と関係したことなく従つてかかる病気にかかつたこともないから、右事実は栗林けさ江が被控訴人と同棲前他の男と関係したことを物語るものに外ならないと主張し、栗林けさ江が被控訴人と同棲後四、五日にして軟性下疳症状を呈したことは、原審並びに当審における控訴人(原告)法定代理人栗林けさ江の供述によつて明かであるが、軟性下疳は、感染後初めは局部発赤し一両日で小丘疹を生じ数日で潰瘍となることは公知のことであるので、栗林けさ江が被控訴人と同棲後四、五日して軟性下疳の症状を呈したからといつで、直ちに同人が控訴人以外の男によつて感染をうけたと速断することを許さず、この点に関する被控訴人の当審における供述は当裁判所の信用しないところで、これをおいて他に右事実を認めるに足る証拠はない。(4) 被控訴人は、尚栗林けさ江の最終月経のあつたのは昭和二十二年三月であつて、同年四月はついに月経をみなかつたと主張するが、右事実を認めるに足る証拠なく、却つて甲第一号証の記載及び原審並びに当審における控訴人(原告)法定代理人栗林けさ江の供述によれば、同人の最終月経は、昭和二十二年四月十六日来潮し、六日間つづいたことが明かである。(5) 被控訴人は、さらに、栗林けさ江は昭和二十二年四月初旬まで長野県埴科郡松代町綿貫製絲工場に女工として雇われていたが、その間男工との間にとかくの噂あり、昭和二十二年四月被控訴人と結婚することにきまると同工場内二、三の男女工と共に同県下高井郡湯田中温泉佐野北旅館に二晩泊りで入湯に行つた事実があると主張し、栗林けさ江が綿貫工場に勤務していた事実は右栗林けさ江本人の供述により明かであるが、その余の事実殊にけさ江が、被控訴人と同棲前他の男と情交した事実は被控訴人の提出援用にかかるすべての証拠によるもついにこれを認めることができない。
以上のとおりで、被控訴人の疑惑は、控訴人の母栗林けさ江が被控訴人と同棲後あまりに早く控訴人を懐胎したこと、並びに控訴人が懐胎後十ケ月を経過せずして九ケ月にして出生したことに基因するものであつて、感情上まことに無理からぬところではあるが、仔細にその主張並びに証拠を一つ一つ吟味し検討するときは、到底控訴人が被控訴人の子であるという前記推定を打ち破るだけの力なく、これを要するに、原審における検証並びに鑑定人岩谷武臣の鑑定の結果、その他被控訴人の提出援用にかかる証拠は固より本件にあらわれたあらゆる証拠によるも、未だ前記推定を覆えし控訴人が被控訴人の子でないという事実を認定することができず、却つて当審における鑑定人古畑種基の信ずべき鑑定の結果によれば、控訴人、その母栗林けさ江及び被控訴人の各血液型、指紋、掌紋、手筋を調査し人相等につき人類学的比較をなした結果、固より真実被控訴人が控訴人の父であるとの断定はできないが、その父であることの可能の確率は五五、六パーセントであつて、法医学上からはむしろ控訴人は被控訴人の子であると認定するのが相当である事実が認められるので、前記推定はここに科学的根拠を得て一層強められたものというべきである。
以上の次第で、本件において確定せられた叙上の事実関係の下においては、控訴人は、被控訴人の子であると認めるのが相当であるので、被控訴人は控訴人を認知すべき義務あり、控訴人の本訴請求は正当であつて認容すべく、これを排斥した原判決は不当であつて控訴人の控訴は理由があるから、民事訴訟法第三百八十六条、第九十六条、第八十九条を適用し主文のとおり判決した。
(裁判長判事 大江保直 判事 梅原松次郎 判事 真野英一)